(写真:夫と小太郎)  書いてる人:ライラ


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がんばりません

努力をして手に入れられるもので本当に価値のあるものはない。

努力とは、便秘の時トイレですること。


とホルヘ先生は書いた。
(ホルヘ先生は、数年前からの愛読書「寓話セラピー」の著者。たまに読み返している。)

努力しようとした自分、努力を怠らなかった自分にこそ価値があり、そこで得るものは便秘を解消したくらいの満足感だ、ってことだろう。(あえての上品な言い方を試みるなら…)
努力して良い大学に行き、素晴らしい資格を取り、何かスポーツで素晴らしい成績を残している人を否定するのではない。ただ、そう言われたら、本当にそうだよなぁ、と思ってしまう。

私がもし讃えるとするなら、それはその人の努力であって、結果ではない。

分かるなぁ、と思っていたらランディさんも同じようなことを最近ブログで書いていた。

ほんのちょっとでも辛いと思ったことは、継続するのが困難だった。
がんばっても、一年、二年が過ぎる頃には疲弊していた。そして別の方向へと流れる。
無理をして努力することの価値を子どもの頃から植えつけられていたから、辛いことの方が価値があると思いがちだった。振り返ってみて、努力とは苦しみではないことに気がつく。
継続できたことは、すべて楽しいことだった。楽しいから努力できたのであり、辛く苦しいことは続かない。楽しいこと、好きなことに惜しみなく努力できるようになったときが、満ち足りた状態だった。
なにが苦しくて、なにが楽しいのか本人にしかわからない。
楽しいと思おうとして、無理に自分をふるい立たせることもあるが、なにかしっくりこない。
自分のなかから出てくる「ちから」みたいなものに、敏感であることができなかった。
それを見下しがちなのだ。人は自分に冷たくしがちだ。自分に対してわざと高い目標を設定して「ほらやっぱりダメ」と諦める。

目先のとるにたらないことを、一個ずつ「できた、できた」と喜ぶ、小さな女の子を、目標の高いママが踏み潰す。そういうことは、単に自分の心のなかで起きていることだけど、心は社会とつながっていて、それが人生模様を作っていってしまう。そうして、自分がダメだと思い込む。


楽しい毎日、努力をしないでいるような日々を過ごしていると、どこかで自分を責める声がすることがある。「あなたはこんなんでいいの?」「このままじゃダメなんじゃないの?」と。
努力せずに生きることは、恥じるべきことであり、責められるべきことのような強迫観念が植えつけられているのかもしれないなぁ。

この後、どんどん変化していく毎日の中で、私は自分の努力が足りないことを責める日もあるだろう。出来ないこと、うまく行かないことに直面しながら、心の拠り所を探したり、足りないものを埋めようとしてあがいたりするのかもしれない。

でも、そうじゃないんだな。多分。

私の今思う努力の先にあるものは、もし到達できたとしても自己満足だけだ。
今までの11年間過ごしてきた生活の中に突然現れる子どもという存在にはもちろん驚くこともあるだろうし、対応できないこともあるだろう。理想とはかけ離れているかもしれないけど、今まで通り、出来ることを出来るだけ、それでいいんだな。

人に褒めてもらえるほどじゃないにしても、それなりに頑張って来てないわけじゃないしね。

自覚していたわけではないけど、妙に心にひっかかったってことは、少しばかり焦っていたのかもしれません。うっすらと自分へのダメ出しが増えていました。

あるがまま、あるがまま。

ただ、その努力の矛先が、自分の自由と子どものことを天秤にかけるような類のものでは話は違います。あくまでも私一人の心がけの話。


明日は、3週間振りにベビちゃんの様子を伺いに行きます。
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by XXhousewife | 2010-07-28 16:36 | 日記・雑記etc.

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