(写真:夫と小太郎)  書いてる人:ライラ


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大切なもの

兄嫁さんのご実家(福島県)から梨をいただいたというので、両親が届けに来てくれるという。ちょうど夕飯の時間で、「食べたの?」と聞いたら、一緒に外食することに。

夫と私の誕生日祝いも兼ねて。

食事を奢ってもらった上に、帰り際「何か買って」とお小遣いまでもらったので帰宅後お礼の電話をした。少し話が弾んでいたら、「子どもが出来てよかったね」という話の延長で、私としてはてこでも頷けない話になってしまい、また変な雰囲気で電話を終了してしまった。あははは。

素直に「そうだね」と言えばいいだけの話なのに、やはりそれは出来ないと思ってしまった。

うちは結果的に子どもを授かっただけの話。
もちろん、こうなったからには人生のプライオリティが変わってくるので、大事なものも変わってきて、そこに方向転換することには何の抵抗もない(と、思っている)私ですが、だからといって、それがゴールだったわけではありません。

この11年間感じ続けたこと、考えてきたこと、そこは変わらない。
その中で辛い思いをしている人の気持ちも分かるし、そのどうしようもうない人生を生きていることに、子どもがいる、いないに変わりはない、と思っているし。それ以前に子どもはオプションではないと思っている。結果的に選択肢があった人は幸せかもしれないけど、ほとんどの場合が選択肢をもって子どもがいる人生、いない人生を選んでいるわけではないと思っている。
「子どもほど思い通りにならないものはない」というのも分かるし、その通りだと思うけど、じゃあ、子どもがいないからといってそれで結果的に"思い通りの人生"を生きている人なんか見たこと無い。

「子どもで親は育つ。子どもがいる人といない人では、やはり大きな違いがある」というその言葉。前半は分かる、ただ後半部分には正直に嫌悪感しか感じることが出来ない。もちろん、子どもを持つことでしか学べないことはあるだろう。でも、子どもがいないその人生でしか学べないことだって沢山あるはずだ。

そこで何を学ぶか。

学ぶことが出来る人は、子どもがいようが、いまいが学び成長する道を歩むだろう。
学べない人はどこかでチャンスを逃しているし、そこには子どもがいようがいまいが同じことだし。(逆にその場合は子どもなんかいない方が身のためだ、とかも思っちゃう。)

というか、人生そのものを「子ども」一つで語ろうとすること自体が多分ナンセンスなんだろうな。
生まれてから、ずっと一つの延長線上を歩く人生。今、自分が抱えている悩み事や苦労一つを取ってしても、それは別に降って湧いたような苦難ではなく、連綿とどこかに起因して繋がっているものの場合が多い。最終的には、「親は親の人生。私は私の人生。」となるのが、それぞれの自律につながるのだから、子どもを自分の人生の一部と捉えていることには限界があるんだろう。
妊娠、出産は私の人生の出来事だけど、子どもの人生はもう生まれた瞬間から別にあるんだ。そこに「親」として登場して大事な役割を占めるけれど、存在としてはそれぞれの一部でも、人生そのものはまったく別のものだ。

ただ、子どもが授かるというイベントが大きい出来事過ぎて、何かしら見失ってしまうのかもしれない。それくらい嬉しいことで、幸せなことであることだし。

ただ、その会話が母と私二人だけのもので、ほかの誰が聞いているわけでないとしても、私は頷けない。母の言うような観念こそが、子どもがいない人を不用意に傷つけたりしていることをよく分かっている。


一つ、喜ばしいのは、前までは母とそういう話をすると「結局、なんも分かってないんだな」ということで落ち込むような、腹立たしいような気持ちになったんだけど、それが無いということ。
母が話したい話を聞いて頷いてあげられない申し訳なさはあるけれど、私の気持ちを母に理解してもらう必要がないことが、やっと身についたところかな。


私だって、これからどこかで無神経な不用意な発言をして、自分と立場の違う人を知らずに傷つけないとは限らない。もしかしたら、もうしているかもしれない。人を傷つけることばかり怖れては生きられないから、それは仕方ないと思っている。申し訳ないけど。でも、いつもどこかで気づきたいし、気づいたら謝れる人間でいたいなぁ、と思う。(このブログ自体がある意味無神経だったりするかもしれないと時折思っている。)


「あの人は、子どもがいないから分からないんだ」

なんて、人のせいにしないで行けたらいいな、と思っている。

「子どもがいるから分かる」

なんてこともあまり言いたくない。


"人の立場に立って話を聞く"というのを共感といい、"わが身に置き換えて聞く"ことを同情と言うと某カウンセラーさんのブログで読んだ。それは本当だと思う。後者には依存とか自己投影とかの匂いがして、単に自分の身を嘆きたいだけな感じがして、少し嫌だ。他人の気持ちを理解することには程遠いと思う。


本当に共感しあえる人間関係には、そういうことはあまり関係ないように感じるし、そういう人たちに助けられてここまで来た。そういうことを、忘れたくないし、そういう人たちこそを大切にできる自分でありたい。
同じように子どもがいない人に失礼なことを言われた経験もあれば、子どもがいても本当に仲良くしてくれた人も沢山いるのだから、何事も一概には言えないもんだ。

書いてる内容に、"攻撃的"な何かがあるとしたら、私の中にある憤りみたいなのを外にぶちまけているのかもしれない。だとしたら、書くべきじゃないのかもしれないけど…。少しばかり消化不良でした。


…ま、なるべく母ちゃんの喜びにも水を差したくないので、今後会話の内容に気をつければいいんだな。今日も随分気をつけたんだけど、まだ足りなかったな。という反省で。
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by XXhousewife | 2010-09-12 00:04 | 日記・雑記etc.

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