(写真:夫と小太郎) 書いてる人:ライラ
by XXhousewife
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self-conscious
最近、お知り合いの方のブログに中々大変そうな問題を抱えている方を見て、その問題が結構私がいた環境と酷似(?)していたので、何か声をかけてあげたい…と思いつつも、中々何を書いていいやら分からず。
文章を書いては消し、書いては消し。
そこで痛感したのが、「私は本当に自分(てめえ)の話しかしないなぁ」ということ。
なんか、書いてる内に、「本当にその人を励ましたいと思っているのか?いや、実は自分もこんな思いをして、こんな風に乗り越えたんだ!みたいなのを誰かに共感して欲しいだけじゃないのか?」みたいな壁にぶつかり。
聞き上手、という人は、本当にその人の話に寄り添えるような人で、私みたいな結局自分の話を持ち出す人間は結局人の話を聞いて、それに関連して応えているようでも、最後は自分の話を聞いてもらいたいだけだったりする、聞き上手とは程遠い人間ではあります。
でも、その人の話を読んでいてもつくづく思うのは男と女の違い、というのか。多分、うちの夫婦が男女逆だったら、まさに彼女とドンピシャな状態にあったんじゃないかなぁ。そして、私なんか(あちらには偉そうに書きましたが)とっとと離婚してたんじゃないかなぁ、と。
今は「離婚しないで、もう何でもいいから一緒にいて、良かったなぁ。和を持って尊しとす、をモットーに多少の不条理には目をつぶって良かったなぁ」という心境なので、簡単に離婚を口にするのには反対ですが、それも幸運な積み重ねがあっての話。
「幸運な」とは書きましたが、それもまた人間万事塞翁が馬。他人の目から見ては不幸な出来事が、我が家の幸せに大きく貢献してくれました。
人は、目に見える幸せな部分しか見ないから、誰かが悩んでいるときに「人間万事塞翁が馬だよ」なんて言っても、「お前ん家は結局親が健康だからそう言えるんだよ!」とか「夫が稼ぎあるからそんな呑気なことが言ってられるんだ!」と言われるのが関の山ですが。
それはその通りかもしれないし、それを否定もしませんが、それもまた一見不幸に見えて実はそうではない幸運の積み重ねだったりするわけです。
逆に、幸せに見える積み重ねが、不幸な出来事に結びついたり。
9年前や、去年の時点でそんな風に達観していたわけではありませんが、今こう思えることは幸せな証拠なんだろうな。
そしてこの幸せが、永遠に続くわけもなく。
例えば、兄夫婦に子どもが生まれることはこの上ない喜びだけど、そのせいで私と親が気まずくなったり、私の心が歪んでしまったり、それが引いては夫との不仲に繋がり、離婚したり。
なんてことも、流れにと心がけ次第ではない話ではありません。
これだけ兄夫婦に友好的で、お嫁さんのことを気遣い、頑張っている私に、「子どもはいいぞ!お前もがんばれ!」と無神経に言う兄と、「お宅の赤ちゃんはまだか?」と会うごとに言ってくる無神経な父。
たま~に、ゆるやか~に、心が死んでいきますが(笑)、私が自分の心と向き合う時間をくれる友達、話を聞いてくれる夫、そして私の心を満たしてくれる小太郎がいなければ、もう世の中呪ってるかもしれません。
ま、可能性の話です。常に、正しい道を行くことを考えるのではなく、どうすれば道を間違うのか?ということを分析して、また道を間違った場合どうすればいいのか?を分析して、そのために必要なことは何かを考えると、自分ひとりじゃ生きてないし、生きていけないんだな、というだけの話。
私が、私の家族、私の環境に対してそれなりの妥協点を見つけたように、皆それぞれの"落としどころ"があるはず。例えばそれが私の考えとは相反するものであったとしても、その人にとってのベストは私が決めることではないし。
誰かが悩んでいるときに、私なりに言葉をかけたい、と思う人は、好きな人だけです。
その人が、私の思いも寄らない答えを出したとしても、それがたとえ(それこそ)離婚になったとしても、その人の真の決断であるなら、それでいいと思えるし、その時にはまた応援させてもらいたいと思います。
とりあえず、今回はその方にも、彼女なりの"落としどころ"があったようで、よかったなぁと思います。
私がコメントを書いても書かなくても、関係が無かったのは分かっていて、それを分かっていることは私にはとても大事なことです。
私は彼女の決断に影響したいのではなく、伝えたいことは、「応援してますよ。好きなあなたには幸せになって欲しいですよ」ということだけなんだ、ということ。それなのに、ついつい余計なことまで伝えたくなってしまうのは、まだまだ修行が足りないんでしょうね。理想は黙って見守ることが出来る人間になることなんだけど…人には向き不向きがあるもんですね。
ま、そんな自分がしたコメントなんかでこんな長々書いてるんだから、依存体質な上に自意識過剰なのは直っていないのかもしれません。
少しだけ反省して、伏せてみました。
さて、小太郎。散歩に行こうか。
文章を書いては消し、書いては消し。
そこで痛感したのが、「私は本当に自分(てめえ)の話しかしないなぁ」ということ。
なんか、書いてる内に、「本当にその人を励ましたいと思っているのか?いや、実は自分もこんな思いをして、こんな風に乗り越えたんだ!みたいなのを誰かに共感して欲しいだけじゃないのか?」みたいな壁にぶつかり。
聞き上手、という人は、本当にその人の話に寄り添えるような人で、私みたいな結局自分の話を持ち出す人間は結局人の話を聞いて、それに関連して応えているようでも、最後は自分の話を聞いてもらいたいだけだったりする、聞き上手とは程遠い人間ではあります。
でも、その人の話を読んでいてもつくづく思うのは男と女の違い、というのか。多分、うちの夫婦が男女逆だったら、まさに彼女とドンピシャな状態にあったんじゃないかなぁ。そして、私なんか(あちらには偉そうに書きましたが)とっとと離婚してたんじゃないかなぁ、と。
今は「離婚しないで、もう何でもいいから一緒にいて、良かったなぁ。和を持って尊しとす、をモットーに多少の不条理には目をつぶって良かったなぁ」という心境なので、簡単に離婚を口にするのには反対ですが、それも幸運な積み重ねがあっての話。
「幸運な」とは書きましたが、それもまた人間万事塞翁が馬。他人の目から見ては不幸な出来事が、我が家の幸せに大きく貢献してくれました。
人は、目に見える幸せな部分しか見ないから、誰かが悩んでいるときに「人間万事塞翁が馬だよ」なんて言っても、「お前ん家は結局親が健康だからそう言えるんだよ!」とか「夫が稼ぎあるからそんな呑気なことが言ってられるんだ!」と言われるのが関の山ですが。
それはその通りかもしれないし、それを否定もしませんが、それもまた一見不幸に見えて実はそうではない幸運の積み重ねだったりするわけです。
逆に、幸せに見える積み重ねが、不幸な出来事に結びついたり。
9年前や、去年の時点でそんな風に達観していたわけではありませんが、今こう思えることは幸せな証拠なんだろうな。
そしてこの幸せが、永遠に続くわけもなく。
例えば、兄夫婦に子どもが生まれることはこの上ない喜びだけど、そのせいで私と親が気まずくなったり、私の心が歪んでしまったり、それが引いては夫との不仲に繋がり、離婚したり。
なんてことも、流れにと心がけ次第ではない話ではありません。
これだけ兄夫婦に友好的で、お嫁さんのことを気遣い、頑張っている私に、「子どもはいいぞ!お前もがんばれ!」と無神経に言う兄と、「お宅の赤ちゃんはまだか?」と会うごとに言ってくる無神経な父。
たま~に、ゆるやか~に、心が死んでいきますが(笑)、私が自分の心と向き合う時間をくれる友達、話を聞いてくれる夫、そして私の心を満たしてくれる小太郎がいなければ、もう世の中呪ってるかもしれません。
ま、可能性の話です。常に、正しい道を行くことを考えるのではなく、どうすれば道を間違うのか?ということを分析して、また道を間違った場合どうすればいいのか?を分析して、そのために必要なことは何かを考えると、自分ひとりじゃ生きてないし、生きていけないんだな、というだけの話。
私が、私の家族、私の環境に対してそれなりの妥協点を見つけたように、皆それぞれの"落としどころ"があるはず。例えばそれが私の考えとは相反するものであったとしても、その人にとってのベストは私が決めることではないし。
誰かが悩んでいるときに、私なりに言葉をかけたい、と思う人は、好きな人だけです。
その人が、私の思いも寄らない答えを出したとしても、それがたとえ(それこそ)離婚になったとしても、その人の真の決断であるなら、それでいいと思えるし、その時にはまた応援させてもらいたいと思います。
とりあえず、今回はその方にも、彼女なりの"落としどころ"があったようで、よかったなぁと思います。
私がコメントを書いても書かなくても、関係が無かったのは分かっていて、それを分かっていることは私にはとても大事なことです。
私は彼女の決断に影響したいのではなく、伝えたいことは、「応援してますよ。好きなあなたには幸せになって欲しいですよ」ということだけなんだ、ということ。それなのに、ついつい余計なことまで伝えたくなってしまうのは、まだまだ修行が足りないんでしょうね。理想は黙って見守ることが出来る人間になることなんだけど…人には向き不向きがあるもんですね。
ま、そんな自分がしたコメントなんかでこんな長々書いてるんだから、依存体質な上に自意識過剰なのは直っていないのかもしれません。
少しだけ反省して、伏せてみました。
さて、小太郎。散歩に行こうか。
by XXhousewife
| 2009-07-23 18:56
| 独り言